2019/12/8
肯定の罠
悩みがある人や困っている人に
【大丈夫】もしくは【なんとかなるよ】
と人に元気づける為に言ったり、言われたりします。
いつもポジティブに見える私は実は結構なネガティブになる時もあって
悩みがある日は中々寝れない夜を過ごしたりしています。
それぞれの人生で色んな悩みを抱えながら生きているのはみんな一緒で
よくも悪くも人生はトータル的に暗い部分まで含めて容赦無く過ぎていくのも平等であります。
人生が平等に与えられたものだとしたらどうしたらその限られた時間をよりいいものにしていくかはやっぱりその人生の主人である
本人の考え方に大きく左右されるかもしれないです。
なので世の中、マインドコントロールや嫌われてもいいやら物事に関して自分がこれから生きていく為に
どう受け入れていくのか自己肯定の本やセミナーなどが多い。
物事をどう受け入れていくのが大事なのかが核心でもあります。
最近色々と考えてみたら自分もよくいう言葉でもある
【大丈夫。きっと良くなる】、【なんとかなるよ】はもしかしたらとてつもなく無責任な言葉であると考えました。
大丈夫と言っても困っている人が大丈夫じゃなければ大丈夫じゃないことで本当の慰めにもならないということであります。
物事のすべてを肯定的に受け入れていくのは難しいことでありますが肯定の思考で逆の結果をもたらすこともあるということです。
例えば部屋が散らかっているのを見て
まぁ、、部屋が汚くなる時もあるからと
なんでいつもこうすぐ汚くなるのか、、汚いじゃん。
二つの考え方はかなり違う。
どうせその後の行動に何もうつさないのであれば肯定的に考えて休んでしまえば心は楽ですが部屋が片付かないのは同じ。
どうせ変わらないなら快く考えましょうの話でもあります。
肯定は現実を直視することを避けることから罠にかかります。
今をより良くする為に
どうして行かなければいけないのかを
具体的な方法で考えていくことは全て現実を直視することからであります。
すぐ散らかってしまう部屋がなぜそうなのか。
いつも物を戻さない自分の癖に気づいてこれからはできるように方法を考えることで部屋が以前より綺麗になっていくことで気持ちが良くなるのが本当の肯定であると。
大丈夫の中には大丈夫になるようにするから大丈夫で
なんとかなるにはなんとかなるようになんとかするからなんとかなることであると。
行動に移した上、なんとかなったことによって本当の自己肯定につながるのではないかと。
なので誰かが悩みを話してくれる時に私は簡単に大丈夫、なんとかなるは言わないと決めました。
なんとかしようと一緒に考える人になろうと。
未来に対する希望の意味を持つ肯定の言葉よりも
過去に起きたことや結果には肯定的な言葉【大丈夫、なんとかなったから!】と自分自身も考え、相手にも言えるようにします。