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Photo essay 6

2015/5/24

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Photo essay 6

simple & sensibility

Dream

 

私が子供の時に一番、最初に抱いていた夢は画家でした。いつも一人の時間が多かった自分に一番近くあったのはペンとノートであってお勉強が嫌いだった私にはその道具は何かを書くものではなく描くものでありました。

そしてそれはノートを超え、床と壁までの落書きのような絵や雑誌や写真のコラジュで埋めてしまい、その独特な部屋は私の高校生の時代に自分自身を代表する名物になりました。

 

私はその時、一生自分自身は絵を描き、何かを切り取りどこかに貼っていくだろうとそれしかないと信じていたと思います。

ですが大学の時代、私は色んな事情により白いキャンバスでもなく、壁でもない人の顔に色を塗ることになったのです。

そしてそれがきっかけで私は日本に来ることができ、何故か日本では人の顔に色を塗るのではなく、黒いごつい機械を持ちいろんなことに意味を付与しながらその瞬間を残しているカメラマンになりました。

趣味で長年付き合っていたことが私の今の人生のメインになっています。

自分の中ですたれないただ趣味での意味が大きかった写真というものが今になってそれを機転にし、自分が一番趣味であって好きだと言っている写真を通して自分を見つめてできなかった、できない、やりたくないと思っていたことに進もうとしています。

好きなことというのは趣味で持ちはじめ、だんだん趣味程度ではなくなる時もあります。

 

何かを好きになるということは【○○は○○】だという何かの対象に対する本人の美的な判断またはその物に対する自分が感じる快、不快によって規定されます。

それはつまりその対象によって呼び起こす感情に純粋し従っていて知識や実用性、優位性、効率性などを配慮いた純粋な対象に対する規定になります。

では好きというのは主観的な感情ですぎないだけなのでしょうか。

 

ここで私は自分の知識だけでは説明ができないので哲学者のカントの趣味判断から少し引用して自分なりに解釈しようと思います。

 

【私達は純粋な美感的な態度うを捕らえる時にその主体たちは美感的感受性が前提として働いている。それは共通といえる共通の美的感受性であり、それを前提で作用いていることであるからこそ美敵規範の役割を果たす。そしてそれは主観的な普遍性を持っていることを意味する。つまりある人物が下している何かを好きだというのは彼らが属している共同体の共通感を意味する。】

この写真の主人公である彼との出会いは2012年、3年前になります。

ライフスタジオの国分寺店で私達は出会い、お互いの将来の夢について語りました。

彼には弟がいます。彼はとっても男らしくたくましい性格があり、弟はまだやんちゃでかわいらしい弟くんでした。その時に二人は大きくなったらレスキューになりたいとたくましい表情が忘れられません。

そして私達は毎年、会うことになりました。その翌年、その二人は撮影に格好いい銃を持ってスパイのような写真を残しました。

今年、すっかり体も顔もそして齎している雰囲気も少しずつ大人になっている彼はバスケに熱中でマイケルジョーダンの話か盛り上がり、今のその夢を語っている姿や彼の憧れのそのマイケルジョーダンの代表的なシンボルを今の彼の姿で残すことであります。

彼が実際に汗をかきながら走っている姿、そして優勝したときの喜びの顔、失敗した時の心と顔、一生懸命に汗をかいて水を飲みながらほっとしている瞬間など私はその瞬間その場所に行くことができなかったです。ですが一つの好きなこと。そして憧れを持っていること。それに向かって無我夢中に動き、語っている彼に私は私が夢を持ち、それに向かって進んでいた心、気持ち、格好良さ、満足感などを共感し共有していました。

 

そして私はマイケルジョーダンのシンボルではあるが今の彼はある憧れを持ち、自分が好きなことに向かって情熱を果たしている彼の夢をそして今の彼を残したのです。

 

彼の夢はまた変わるかも知れません。そして趣味も好きなこともですがそれが何回変わるにしろ、変わらないにしろ、彼は好きなことを見つけ、流している汗、悔しさや喜びにかれは満足を得て精一杯生きているのです。

私は彼の純粋なその心に大人になって理性をまといながら好きという言葉に自分の怠けから逃げていているのではないかと反省しました。

好きというのは他のことより失敗率が低いから、人に何より認められるからではない。好きというのはどんな常識もどんな理論も構わずに無我夢中に汗をかくこと。そして失敗を認め、そこからまた新しい自分に出会うことを恐れないことである。

今の総体的自己理解の一番の方法であること。

今の私はただ自分が好きであった写真から自己満足だけでなくそれももってより広めて自分の可能性を試していようとしています。必ずしも成功するとはいえない。

彼は今好きなバスケでプレッシャーや期待、挫折、喜びなどすべての感情に戦いながら自分と向かいあっている。その気持ちを忘れないこと。そんな彼に対する自分の反省と私が今集中すべきの事の人の大切な人生の瞬間を精一杯表現し記録すること。

そして私はその瞬間、彼に強く伝えました。

もっともっと自分が思うほど精一杯飛べ!

 

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