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photo essay 5

2015/5/15

 181525_037

photo essay 5

simple & sensibility

 portrait

 

人を撮っています。

 

あるカメラマンとスタジオで自分が撮った写真を見合わせながら撮影から写真に関するお互いの意見交換の時に私はこう言いました。

 

*私は人を撮っています*

 

 

まず、そのカメラマンの鋭い警句みないなつっこみに対する弁明みたいなのも少しありつつ、自分が普段、撮影をしながら一番集中していることをまとめた気がしました。

 

人が風景になる、けっして人がメインになる写真は被写体に対する気持ちが沸かない限り、カメラを人に向いてこなかったです。

要するに、愛する人だとか何かにその感情が生まれないと表現しようがないと。

 

そしてスタジオに入り、感情も気持ちも考える余裕もなく人を次々と撮っていくのだが、、不思議と何千人も撮影をしながらファインダーで覗いて感じとる感覚はそれぞれ違います。

 

また不思議と未だに撮影に入る前、緊張がとまらない。

色んな光を探すなり、かわいい衣装にどきめいたり、息の合うコーディーと被写体に出会えたり、光の無限の表現に喜び、興奮するが

一番の喜びや快感は撮られる被写体とその以外の人物たちとの特別の言葉を発することもなく、無限な信頼と共感を感じられた時であります。

 

きれいな光も核心のある光も素敵な衣装もインテリアも

人によって人を引き立たせる価値で存在していて、人が存在するからこそきれいやら汚いやら次の存在の意味が生まれる。

 彼女は堂々と一人の子供の母親としてそして一人の女性として輝いていました。美しさとはその人が自分に堂々とかざりのなりありのままのその人であるからこそ発揮できることであります。少しはシリアスに少しは女性だからこそ表現できる権利、、セクシーさを光でラインを引き立て、、舞台の主人公である彼女を映し出す。

 

 

それは私が見る被写体から私が見えて、、そして私をみている被写体から被写体そのものが感じられる一瞬であるportraitです。

 

portraitとは 人物模写であります。

人間の目は脳という神経が繋がっている限り

心という感情に繋がっている限り。

常に新しい意味に出会っている。

何千万人、、何億人がそれぞれの顔をしているように

異なる私達の日常の一瞬の出会いは瞬きの一瞬で過ぎてしまう。

 

そしてその何億分の一のその一瞬を被写体と撮影者が出会えた時をその人なりに、その時の自分で表現されたこと。

 

写真を構成する技術は表現の一つの強調であり、いろんな要素の限界や方向を扶養することにすぎない。

従って作品に質に入る、線やピント、フィルターの効果、雰囲気などの要素はすべて一つの目的の為に使われなければならないと思います。

瞬間とそのときの環境はすべてにおいて

大事なポイントを持っていて、いいカメラでも古いカメラでもそれを記録できる器具になります。

その瞬間に置かれている私たちの義務は主題が持っている問題をずいぶんに理解しようとする努力と、

その自体でその時間にその人に、その関係に含まれている大事なポイントを発見することからはじまるのではないでしょうか。

出会ったその瞬間のお互いの感情、そしてその感情を明確にその人に伝える為の光、構図、レンズ、演出すべては私そしてあなたの今を表現ずる為であります。

写真館に入って何がいいのかと誰かに聞かれたら私はこういいます。

出会い、私が得意としていることから人を学び、人にたくさん出会えることであると。

 

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